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慶応3年の石垣
出島南側の道路には、慶応3年(1867年)に拡張された護岸石垣のラインを示す鋲(びょう)が埋め込まれています。道路上にあるので、電車と車には気をつけましょう。
荷揚げ場
荷揚げ場は、出島の西側にある少し突き出た部分で、船の積み荷の揚げ降ろしに便利なようにと、後で継ぎ足されました。復元されたものをよく見ると、石垣の形が異なり、3回にわたって継ぎ足されたことがわかります。
基礎石
江戸時代の建物の基礎石は、当時の建物の大きさや位置を知る上で重要な史料となりました。現在、一番蔵と二番蔵のなかで一般公開されています。
瓦敷き側溝
道路の両脇に雨水排水用として造られた溝で、復元された建物の前に再現されています。また、出島の中央部分から東側にかけては、居留地時代の側溝(三角溝)があり、当時のようすを物語っています。
旗竿跡
二番蔵の前にあり、オランダの記念日などには国旗が掲揚されました。現在の中央広場に立つ旗竿は、当時の位置とは異なるものです。
時鐘
「メイザン」の名で多くの資料に見られますが、その位置は建て替えのたびに移動したようです。ひもを引いて鳴らす西洋式の鐘で、18世紀のオランダで実際に用いられたものを吊っています。
用水地
火災に備えて設けられた間口1間半×4間(約2.7m×7.2m)の用水池。中央部に長方形の枡(ます)をもつ二重構造で、表面は水を通さないアマカワという粘土で塗り固められ、2個所に階段が設けられていました。現在、池の周囲にめぐらせた縁石で用水池の大きさを表しています。
天秤量り(複製)
オランダ船が運んできた輸入品の砂糖などを計量するもの。天秤の一端に籠(かご)や袋につめられた砂糖を置き、もう一端に分銅を置いて、棹(さお)が水平になったときの分銅の総重量で砂糖などの重さをはかります。
石造日時計(複製)
この日時計の実物は、商館長ヘルマン・クリスティアン・カステンス(1766~67滞在)によって出島の花園に設置されました。日光の影により、朝6時から夕方6時まではかることができ、真ん中の南北を示す線が12時です。
居留地時代の地番境石
安政6年(1859年)、出島のオランダ商館は廃止され、領事館が設置されました。さらに、慶応2年(1866年)には外国人居留地に編入されました。この石標柱は、居留地時代の出島の地番を示したもので、現在、敷地の東側から中央部にかけて、道路沿いを中心に7個所の石標柱が残されています。
陶製の門柱
昭和29年(1954年)に移築されたもの。柱にはペトゥルス・レグゥー窯のマークが刻まれているため、オランダのマーストリヒトにある同社の製品であり、当時出島にあった店舗に使用されていたことが推測されます。ペトゥルス・レグゥー窯の製品は、当時出島を介して阿蘭陀(おらんだ)趣味の大名や藩主、商人などが入手していました。
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